関ケ原の戦いで東軍(徳川方)、西軍(石田方)
につくか佐竹家は迷っていた。国内6番目の
石高を持つ佐竹家は殿の鶴の一声で西軍に。
ご存知の通り、徳川方が勝利し佐竹家は…。
1602年、佐竹家は徳川から転地を命じられ
出羽(秋田)で暮らしていた。
石高は3分の1にされ、江戸からも遠く離れた。
雪に覆われたかの地への進軍は時間がかかり、
上杉謙信も戦の援軍に遅れた逸話がある。
重心たちは関ケ原でまともに戦えず、
いくら殿の判断とは言え不満を抱えていた。
しかし、戦国時代は終わったのだ。
現当主佐竹義宣は心機一転を図り
新しい都を造ろうと提案した。
既に殿が一目置く内膳らとにより話し合い
候補地があると宣言。
が、家臣伊勢は異を唱え、
後日評議を行うことになった。
前当主から佐竹家に仕えてきた重臣たちは
戦果をあげたことで成り上がった者が多い。
都を造る際にも領土の防衛を念頭に考える。
既に戦に対する備えを不要と考える内膳は
産業の発展を第一に考える。両者の意見は
真っ向から対立したかに思われたが…。
時代の移り変わりによって戦局、政治も変わり
人の選択・判断も変わっていく。
「剣の舞」
戦が起こり、近隣では略奪が行われた。
家族を皆殺しにされ、復讐を誓ったハルナは
道場で剣術を学び仇討ちをすることに。
一見頼りない文吾郎に一方的に弟子入りする。
高名な上泉伊勢守に師事する文吾郎によって
鍛えられる。同郷の与吉と再会したハルナは
仇討ち相手たちが自分を捜していることを知る。
新陰流の達人文吾郎は後に柳生石舟斎と戦い圧勝。
後に柳生新陰流の祖となるが、流浪の士に。
「しない」を用い、無敗の伝説を残した。
講談社KCデラックス