そんなバカな……とお思いの方もいるかもしれないが、
この説はなかなか肯けるものがある。あくまで一説だけど。
日本語に「腰を据える」というのがあるが、
和式トイレで腰を据えて(落として)ふんばるのと違って、
洋式トイレにおいては「いきむ」ことができない。
これは思わぬ弊害である。
ラクではあるが、それによって「ふんばりがきかない」のである。
そして私は考える。
汚い話しになってしまい恐縮なのだが、山奥で用を足したく
なったとする。その際に、洋式トイレにならされた現代人は
様式スタイルで用を足そうとする……そのときふと気づくのである。
「あれ。これはできないぞ」と。
たとえば、木などをつかみながらなら可能かもしれない。
まぁそれはそれで大変であるが、片手になってしまいとても不便。
便だけに不便……すまん。忘れて。
まぁ実際にスポーツをこよなく愛する人や、健康志向の人なら
「腰が安定していること」がどれだけ大切かはおわかりいただける
と思う。大半の労働人口が農業を営んできた農耕民族日本人が、
狩猟民族のそれよりも「腰が据わる」のはある意味当たり前だ。
それが崩壊してきたのだとしたら、洋風(洋式化)と言う名の
「毒」による所が大きいな……とか洋式トイレで考えたり。
洋式トイレだと本とか漫画が読めて便利だけど、その分肝心の
用を足す行為自体が疎かになってしまい、これを本末転倒と呼ぶ。
うん、集中力が足りない。便利だけど、不便だね。将来的には。