ということで、かなり注目が集まった大会だった。
前半は、福士さんの日本新を狙っているかのような激走。
自分の決めたラップライムを刻むかのように1キロメートルを
3分20秒ペースで走り、日本新はムリだけど好タイムでの優勝を
誰もが期待しだした。しかし……。結果を知っている方もいるかと
思うが、福士さんのペースは一挙に失速。
足が動かない。そして、再度の転倒。こういうときに「がんばれ!」
とか「立って!」という声援はある意味で非情だ。たとえ善意だと
しても。福士さんは、なんとか完走したものの、結果は惨敗であり、
ほろ苦いマラソンデビューになった。
マラソン、駅伝を描いた名作マンガに「いいひと」があり、あえて
「がんばらないで」と声援を送るキャラクターがいる。
→「いいひと 最終巻の26巻より」
駅伝の走者であるその人は、なんとかたすきをつなげようとケガした
足でムリヤリ走り続ける。ぼろぼろになりながら……。それだって、
確かにドラマになるだろう。彼を応援する「がんばれ」の声。声。声。
だけど、そんなのは本当の意味でのエールであろうか?
ちょっと違う気がしてしまう。
マラソンにしても、駅伝にしても誰かに助けられた瞬間に選手は
「失格」になる。記録は、当然「なし」である。スタート直後に棄権
しても、ゴールまであとちょっとという所であっても、記録上は
全く同じ。監督やチームメイトは、選手の意思を汲み取りつつ、
「危険」だと判断したら止めてあげる「勇気」が必要だ。
今年の箱根駅伝は壮絶だった。私はコタツで温まりながら、大好きな
箱根駅伝を9割がた観ていたが、今年は「たすき」をつなげられず、
棄権した大学が3校も出た。
残念だと言うのは簡単だが、「辞める」勇気を選択するのはやっぱり
走っている本人にはできないことだと思う。これがマラソンで
あったらまた意味合いが異なってくるけれど、駅伝はチーム戦で
あるので、辞められないよやっぱり。
たすきを繋げるという「使命感」が、不思議な力になることもあるし、
逆に大きな枷になってしまうこともあるんじゃないだろうか……。
昨日の福士さんの、激走の裏側にはたくさんの人の「期待」とか、
「サポート」とか、いろんな想いがあったと思う。
もちろん、走っていた福士さん自身にとっても……。
調整不足だとか、ペース配分の失敗だとか……そういった戦術的な
ことは地平線の彼方にでも置いといて、「がんばりすぎてしまう」人
に、「あんまりがんばらないで」と言えたらいいのに。
あと、ニュースソースとしてはわかるのだが、日本人最高位の人
よりも福士さんの写真の方が大きいのはちょっとひどいと思う。
(読売新聞)
これでは、何がなんだか……。
あと、日本オリンピック委員会はマラソン代表の選考基準をきちっと
決めるべきだと思う。蜃気楼みたいに、曖昧模糊だ! 喝!